昭和57年・・・創部年
 チームは,昭和57年2月,日本社会人野球協会の承認を得て,東部札幌クラブとして北海道社会人球界16番目のチームとして発足した。都市対抗1次予選で公式戦初勝利をあげた。

昭和58年
 クラブ対抗道予選で,初めて先輩クラブチームの小樽協会に公式戦初勝利をあげた。決勝戦では函館太洋と延長戦の末破れ,全国大会出場を逃した。また,結成記念大会(2部)では,決勝戦で山陽国策パルプと対戦し6−8で破れ,2部優勝を逃した。

昭和59年
 札幌支部大会で拓銀と対戦し5−7で敗れたが互角の戦いを見せた。クラブ対抗道予選では,再び決勝戦で函館太洋と対戦したが,乱打線の末7−10で破れまたしても全国大会への出場を逃す。

昭和60年
 後援会活動を開始。選手の職場,知人を中心にして約400人の会員でスタートした。クラブ対抗道予選では初戦函館太洋を延長の末4−2で撃破,決勝では札幌野人クラブを投打で圧倒し,初の全国大会(西武球場)へ出場した。また,結成記念大会(2部)でも,森クラブ,旭鉄,函館太洋を次々と破り優勝した。

昭和61年
 都市対抗2次予選では,決勝リーグ出場をかけて大昭和製紙北海道と対戦し,9回表2死から3点を取り延長へ。結局11回サヨナラ負けではあったが,企業チームと互角に戦えたことに満足感がもてた。
 6月に新チームに生まれ変わることになってチーム名を公募,道教育大札幌校教授の伊藤隆一(故人)さんの命名によって札幌ブルーインズとなった。ブルーインズはマンガや童話に登場するクマ。つまりチームは「クマちゃんたち」ということになる。

昭和62年
 都市対抗1次予選は、札幌倶楽部に17−2で勝利、敗者復活1回戦で日産サニー札幌に9−6で勝利するも2次予選進出決定戦で、王子製紙苫小牧に4−8で敗れる。
 クラブ選手権予選では、小樽野球協会、札幌倶楽部に勝利し決勝戦まで進んだが函館太洋倶楽部に3−7で敗れる。
 日本選手権予選では都市対抗に続いて日産サニー札幌に4−2で勝利するも、2回戦で新日鉄室蘭に完敗。

昭和63年
 クラブ選手権予選では、札幌倶楽部、森倶楽部に勝利し決勝戦進出。小樽野球協会に9−2で完勝、4年ぶり2度目の全国大会出場を果たす。その初戦は全東海野球団にコールド勝ちするも2回戦では静岡クラブにー歩及ばず5−6で惜敗する。

平成元年
 2年連続クラブ選手権出場を目指した道予選は、札幌倶楽部に5−2で勝ち、函館太洋倶楽部との決勝戦では一歩及ばず4−6で惜敗。

平成2年
 結成記念大会2部で5年ぶりに優勝。
 1回戦で小樽野球協会に7−4、準決勝は森倶楽部に6−3で勝ち、決勝戦は函館太洋倶楽部に
11−4で圧勝した。

平成3年
「硬式野球を続けたい!」という思いからチームを結成して10周年を迎え、記念祝賀会を開催する。
 結成記念大会2部で2年連続優勝する。
 1回戦函館太洋倶楽部に14−7、準決勝では札幌倶楽部に6−5で勝ち、決勝戦は森倶楽部に
14−3で圧勝。この大会の勢いでクラブ選手権道予選も優勝を目指したが、準決勝で函館太洋倶楽部に5−6で惜敗する。

平成4年
クラブ選手権北海道予選で優勝!4年ぶり3度目の全国大会へ
森倶楽部に3−0、函館太洋倶楽部に3−2、決勝戦では小樽野球協会には9回裏2死から逆転し、6−5で勝利する。
8月3日から西武球場で行われた本大会では、初戦新潟コンマーシャル倶楽部に6−0で完封勝利するも、2回戦では一関三星倶楽部に2−3で惜敗する。

平成5年
結成記念大会2部で2年ぶり、3回目の優勝を飾る。
1回戦札幌・広島ウインブレーザーズ(現ウイン北広島)に9−6、準決勝は札幌倶楽部に21−9で快勝、決勝戦は6−2で函館太洋倶楽部を破る。

平成6年

この年は近年になく、11人の新入部員があり、総勢42人の大所帯となる。
日本選手権道予選では、初戦に函館太洋倶楽部に9−3で勝利するも、2回戦は日本製紙旭川に完敗する。
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全国大会出場記念の部報

昭和60年全国大会出場記念の特別部報

平成元年全国大会記念第27号

平成4年全国を決めた第47号
これから以降の歴史については,随時追加していきます。
チームの歴史